梅棹忠夫さんって理学博士だったんだ?

梅棹忠夫さんがお亡くなりになったそうです。
どこかで梅棹忠夫さんの研究について聞いた記憶があるのですが、全く覚えていません。
文明の生態史観なんて頭の片隅にも残っていませんが、お名前だけは覚えていました。

訃報を見るまで、梅棹忠夫さんが理学博士だというのは知りませんでした。
理系だ文系だなんて言っている自分が恥ずかしくなりました。

時事ドットコム:梅棹忠夫さん死去=「文明の生態史観」で反響-民族学研究の第一人者

梅棹忠夫さん死去=「文明の生態史観」で反響-民族学研究の第一人者

 「文明の生態史観」で知られ、初代国立民族学博物館長を務めた民族学者、梅棹忠夫(うめさお・ただお)さんが3日、死去した。90歳だった。京都市出身。
 1943年京都大理学部卒業後、大阪市立大助教授などを経て、1969年に京都大人文科学研究所教授。大学時代の専攻は動物生態学だったが、後に民族学、比較文明学に転じた。理学博士。世界各地での実地調査やフィールドワークに基づくユニークな文明論を発表し、特に西欧と日本の文明が平行的に進化したとする「文明の生態史観」は、57年「中央公論」2月号に掲載され、大きな反響を呼んだ。
 世界の文明と民族に関する中核的な研究施設、国立民族学博物館(大阪府吹田市)の創設にも尽力した。64年に日本民族学会理事となって設立運動に取り組み、74年には初代館長に就任。同館の発展に大きく貢献し、93年の退任後は顧問を務めていた。
 86年、視神経の病気により失明したが、その後も口述筆記で次々と著作物を発表するなど精力的に活動を続け、94年に文化勲章を受章した。04年に肺がんなどの手術をし、05年には脳梗塞(こうそく)を患ったが、リハビリを続けて翌年復帰した。主な著書に「東南アジア紀行」「知的生産の技術」「日本とは何か」「梅棹忠夫著作集」など。(2010/07/06-13:34)

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