大曽根凹地は古木曽川の流れた跡

大曽根凹地とは、名古屋市の中心部の東側、東区、昭和区などにあり、周囲の熱田台地よりやや凹んでいる部分を、そう呼んでいます。

自転車で走っていると、意外と起伏があることに気がつきます。

「大阪の上町台地とは逆で、南北に細長く延びる凹んだところがあるなあ」と名古屋に住み始めた頃、そう思っておりました。

直線状に凹んだ線形地形となっていることから、断層でも走っている?なんて思っていましたが、そういうわけではなく、昔の木曽川がここを流れていたと言われています。

周囲の熱田台地を浸食し、この地形ができたと言われています。

せっかくなので、MapDXFMakerでこの周辺の地形を図化してみました。

図をみると、名古屋城や熱田神宮という古くからある歴史的建造物は熱田台地にあることが解ります。

名古屋の繁華街の栄は名古屋城と熱田神宮の中間であるので、ここも標高がやや高いところにあります。

1万年前~2万年前は木曽川が大曽根凹地を流れていたとあることから、縄文時代はここに木曽川が流れていたことになります。

深い青色の部分は海であった可能性が高いわけです。

先日、名古屋の貝塚はどこだ?と探した、瑞穂運動競技場は、熱田台地の南端部なっており、大河川の木曽川を少し除けたところに位置しています。

これをみると、淡水と海水の交わる良い漁場だったのかもしれません。

大曽根凹地.JPG

木曽川は名古屋中心部を南北に流れていた


 今から約1~2万年前、当時の木曽川は愛知県の犬山付近から南下し、小牧→春日井→名古屋市中心部を通り伊勢湾へ流れ込んでいました。濃尾平野を南北に流れていた当時の木曽川(“古木曽川”)の痕跡は、川が熱田台地(図1)を浸食した地形と木曽川水系に特徴的な石(放散虫チャートなど)を含む礫層として残っています。“古木曽川”によって削られて低くなった部分は、大曽根凹地(図1)と呼ばれ、東西約1.5km、南北約3kmにわたって追跡できます。
 人間活動によって、大曽根凹地の両端の浸食崖は今ではなだらかになっています。それでも、栄付近の錦通では愛知芸術文化センターから東海テレビの方へ下りはじめる所に凹地の西端が残っています。もう少し北では、名古屋市役所から約1km東の金城学園から敷島パンのあたりで東へ低くなる所になります。
 一方、“古木曽川”の東端は若宮大通(100m道路)の吹上インター付近で道路が西へ低くなる所になります。その少し北の飯田街道では、「古井の坂」付近で道が北西へ下る所がその名残です。

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