松山城の斜面は三回崩れたらしいと松山城の斜面が戦前と戦後で形が違っているように見える件

土砂崩れに巻き込まれた人のご遺体が見つかったらしい。合掌。

松山 土砂崩れ 現場で見つかった男女3人の死亡確認 | NHK | 愛媛県

そういうわけで、ご遺体発見の話の中に少し気になるコメントを見たので、忘れないうちにメモしておきたい。

○三回崩れた話

もう崩れ去って混ざっているのでどういう仕組みで崩れたのか現場で私がみても、あー崩れてるなとしか思えないでしょう。

崩壊の起点はやっぱり路肩のクラックの拡大が一番可能性が高そうですが、路肩下の緩い地盤が先に滑ったかもしれませんね。

たぶん、谷の途中で詰まったのでしょう。最後の水は土砂が中間の谷底で堰き止めて水を湛えてたものが崩壊した様な気がします。

あの谷の中でちっちゃい土砂ダムができた様な気がする。

○過去に土石流が起きた跡地というコメントについて

山の頂上が松山城で、それ以上に山がないのに、土石流が起きた跡地ってどういうことだろう?

松山城って戦国時代に作られて、かなりのものがそのまま保存されていたんでしょう?

築城前の土石流ですかね?そんなところに城作るか?

○今昔マップで戦前と戦後で斜面の地形が違う件

戦前の古地図です(1928~1955)と書かれているので良くわからないですが、戦中戦後の松山城の谷筋はシャープだった。

1968年の古地図です。斜面の形戦前と違うでしょう?だからその頃に谷部の上部に土を盛ってませんか?

こんなところに土石流が堆積するとは私の悪い頭では想像出来ないんです。

松山城の斜面で土砂崩れが起きたらしいが、空撮写真を見て熱海の土石流を思い出した。 | 地質屋さんと呼ばないで

(2024/07/13追記)

○米軍撮影の空中写真と1960年代の空中写真で山頂の平たいところが違うように見える話

米軍の空中写真に1:10000に近いものがあったので、見てみました。

戦後米軍撮影の松山城。

1960年代

1970年代

こうやって見てみると山頂部の松山城の平たいところが広がっているように見えます。

削ったんですかね?少しずつ削って均したと思うんですよね。

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