技術の伝承について

堀江貴文氏が、原子力発電所の事故後の原子力開発への道について書かれていた。

色々賛否両論有ると思いますが、私は堀江氏の話に頷いてしまいました。
使わなくなった技術は廃れる・・・そして0になる。また再びそれを求めたときには、最初から作らなければならない。技術というものはそう言うものだと私も思う。

コンクリートから人へという話で、今の政権与党は政策転換をしているが、橋を造りつづけなければ、橋を造る技術は無くなるだろうし、トンネルを掘りつづけらなければトンネルを掘る技術は無くなると思う。ただし、必要のない技術は残る価値はない。「技術立国日本」とか言葉面はいいが、それを潰そうとしているのも政権与党だったりするわけである。

原子力開発という視点では、何処までその開発が廃れていくだろうか?
核融合の実用化もあやしいのだろうか?
システムの異なるトリウム原子力も日の目を見ることが無く終焉していくのだろうか?
代替エネルギーに何を使うようになるのか?
色々考えてしまうのだが、結局、国民一般には受け入れられない技術として、原子力は封印される道に行くのでしょう。未来のことはわかりません。
私はトリウム原子力が、今のウラン原子力に変わって、もっと安全安心な原子力として出てくることを祈っています。日本はそのトリウム原子力の研究をウラン原子力の推進のために、冷遇したのですが。

最後に堀江氏は、「俺たちは火を初めて使うようになった動物の末裔である」という言葉に、それを意識している人はあまりいないのだろうなと思ってしまったのでありました。私もその一人です。

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俺たちは火を初めて使った動物の末裔である。|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」by Ameba

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