浅はかであるが「四苦八苦」について考えてみた
38歳になりました。いい歳の取り方をしていると思いたい今日この頃です。
物事が大変な状態を味わうことを「四苦八苦している」なんて言い方をするのですが、四苦八苦の本来の意味・語源を知らないなあと思っていたのでありました。
2011/01/23の中日新聞の中日春秋の中に「四苦八苦」という言葉と意味が載っていたので、もう少し調べてみると四苦八苦とは、以下のような言葉だそうだ。
四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦しみの分類。(ウィキペディアより)
- 愛別離苦(あいべつりく) – 愛する者と別離する苦しみ
- 怨憎会苦(おんぞうえく) – 怨み憎んでいる者に会う苦しみ
- 求不得苦(ぐふとくく) – 求める物が得られない苦しみ
- 五蘊盛苦(ごうんじょうく) – あらゆる精神的な苦しみ
四苦八苦と言う言葉は人生そのものを表しているのか・・・
生の苦しみ:生まれ生き続ける苦しみ
老の苦しみ:自身が衰え自由が利かなくなる苦しみ
病の苦しみ:病気になって痛む苦しみ
死の苦しみ:死んだあとがどうなるか解らない不安の苦しみ
これについては、人それぞれ思うところが異なるのでしょう。
さて、四苦八苦って実はトレードオフな関係にあるのではないか?と思ってしまった。
例えば、今の世の中(日本)では、生き続ける苦しみや病の苦しみが緩和されている傾向にあるから、老の苦しみが際だっているのではないのだろうか?
また、認知症にかかった人というのは、病の苦しみを味わっているのだが、死を認識する苦しみから解放されつつある人なのかもしれない。
苦しみを等配分してやることが、良い人生なのかなあ?と思った次第である。
中日新聞:中日春秋:コラム(CHUNICHI Web)
中日春秋
2011年1月23日
われわれは、ちょっと何かに難渋すると、すぐ「四苦八苦する」と言ったりするけれど、考えてみれば、それはいかにも大仰である
▼仏教でいう「四苦」とは「生、老、病、死」。それに愛する者と別れる「愛別離」、求めても得られぬ「求不得(ぐふとく)」など四つを合わせたのが「八苦」だ。中でも「老」が一番厳しいと、これは、鎌倉時代の僧、無住が言っていることである
▼高齢者の所在不明続発や、一人暮らし高齢者の買い物難民化など、「老」にかかわる最近のさまざまな出来事を思う。万引に手を染める高齢者が激増しているとも聞く。警視庁の調査には、少なくない高齢容疑者が、「孤独」を口にしたという
▼ 古典エッセイストの大塚ひかりさんが以前、小紙に寄せた稿から孫引きすると、無住は『雑談集(ぞうたんしゅう)』にこう書いている。<昔に変はりて、身苦しく、障(さわ)りのみ多き中にも、人に厭(いと)ひ憎まれ、笑はれ侍(はべ)り>。身体的衰えも無論、つらい。だが、疎外感、孤独感こそ、本当に人の晩年を苛(さいな)むものであろう
▼菅首相が、過日、「一人ひとりを包摂する社会」特命チームというものを発足させた。貧困や高齢で社会から孤立する人を減らす施策に乗り出すという。包摂とはまた難しい言葉だが、要は、社会が包み込むイメージか
▼考えようによっては、こんな難題はない。しかし、確かに、手をこまぬいてはいられない。