聖牛(せいぎゅう・ひじりうし)
雨が多くなると、川が氾濫したなどと、この季節の風物詩のような話になります。
流域の被害を抑えることに苦労していたのは、別に現代の人だけではなく、昔から治水というのは、そこを支配する権力者にとって重要なプロジェクトだったのだと思います。
最近はたまに、聖牛を川の中に見ることがあります。その効果のほどはよく解らないのですが、自然と共存した治水方法としてよく使われているようです。
機会があったら見に行こうかなあ・・・
日本3大急流の一つである山梨県の富士川水系では、「聖牛」と呼ばれる伝統的水防工法が継承され、現在も活用されている。(三大急流:静岡・山梨県富士川、山形県最上川、熊本県球磨川)
聖牛については、江戸時代に書かれた「地方凡例録(ぢかたはんれいろく)」という書に、武田信玄の創案になるものとされ、山梨県の急流である釜無川、笛吹川に施工された。その後、武田信玄の勢力圏拡大に伴って天竜川、大井川、安倍川、富士川に伝わり、享保年間以後は各地に流布するに至ったという。
また、国土交通省の「技術と人を結ぶ交流誌・繋(つなぐ)」平成16年度Vol9 によると、聖牛は牛類の一種で、主に急流河川における水衝部に複数個配置され、減勢効果、導流効果が期待される透過性の水制。三角錐に木を組み合わせた形状で、その形が牛の角に似ていることから名付けられたと言われるという。
聖牛は、その大きさにより、大聖牛、中聖牛などがある。地域によっては、聖牛を「川倉」と呼ぶところもある。また、材木を四角錐に組んだものは「菱牛」と呼ばれるなど多くの種類がある。
山梨市では、以前は聖牛というより、「川倉」の名称で親しまれてきた。