アイスランドの火山の被害例(ラカギガル:1783年)
twitterで@Y_Suzukiさんに教えてもらったので、忘れないうちにメモしておきます。
アイスランドってかなり激しいところなんだな・・・。
ラカギガルLakagigar―18世紀の災厄と異常気象
ラカギガル...世にも恐ろしい噴火を起こしたこの噴火割れ目の名前を,アイスランド人たちが忘れることはないだろう.それは1783年の出来事だった.5月後半からアイスランド南部に群発地震が起き始め,住民はそれが何事かの凶兆であることをうすうすと感じ始めた.6月に入ると地震は回数や激しさを増し,一部の住民は家を離れてテント生活を始めた.
18世紀のアイスランドには,異常なほど火山噴火や地震が多かった.1721年にはミルダルスヨクトル氷冠の下にあるカトラ火山,1727年にはヴァトナヨクトル氷冠の南東端にあるエライヴァヨクトルOraefajokull火山で,それぞれ大規模な噴火が起きた.また,1724年から1729年にかけてアイスランド北部のミヴァトン湖周辺で立て続けに数回の噴火があった.1732年と1734年には前述した南アイスランド地震帯でマグニチュード7クラスの地震が起きた.1755年には再びカトラ火山が大規模な噴火を起こし,ヘクラ火山の1766年の噴火がそれに続いた.1783年5月になると,レイキャネス半島の南西沖にある海底火山で噴火が始まり,8月まで続いた.
1783年6月8日,アイスランド東火山帯の東縁付近にあるラキLaki山の南西側に大規模な割れ目が口を開き,噴火が始まった.6月29日になると噴火割れ目はラキ山の北東側にも伸び,その全長は25kmに達した.割れ目からは高さ800~1400mの火柱が上がり,溶岩流が絶え間なく流出し続けた.50日目を過ぎるとさすがに噴火の勢いは衰え始めたが,噴火が完全に終わったのは翌1784年の2月初めであった.アイスランドの歴史時代をつうじて最大という途方もない量の溶岩流は,ふたつの谷間を流れ下り,海岸付近に達して広がった.そのうちの南西側の谷間を流れる川の名前をとって,アイスランド人たちはこの噴火を「スカフタオの火(Skaftareldar)」と呼ぶ.
海岸付近に流下した溶岩流はいくつかの村落と農地を埋めたが,火口が人里離れた場所に生じたことと,溶岩流出主体のさほど爆発的な噴火ではなかったことのため,噴火そのものによる死者は出なかった.しかし,アイスランド人たちの本当の悲劇はその後に控えていたのである.
ラカギガルの1783年噴火がもたらした災厄の主犯は,溶岩や火山灰ではなく,おびただしい量の火山ガスであった.火山ガスは,噴火終了後も火口や溶岩流の表面から絶え間なく放出され続けた.この火山ガスの中には大量の硫黄酸化物が含まれており,それらは青味を帯びた硫酸の霧となって大気中をただよい,一部は酸性雨となって地上に降りそそいだ.また,成層圏に昇った霧は北半球全体の空をおおい,日射をさえぎって世界的な気候の寒冷化を引き起こした.毒気のある霧と雨によって,アイスランドではまず水や植物が汚染され,次にそれを食べた家畜が死んだ.異常低温が,家畜や人間の健康の悪化に拍車をかけた.史上かつてなかった深刻な飢饉がアイスランドを襲い始めた.
結果として,1783年からほんの数年の間にアイスランドの家畜の50%と,人口の20%が失われた.それを見かねたデンマークでは,自国内へのアイスランド人の移住計画が真剣に討議されたが,ついに実行には移されなかった.飢饉にあえぐアイスランド人たちをあざ笑うかのように,1784年8月14日と16日,ふたたび南アイスランド地震帯をマグニチュード7クラスの2回の地震が襲った.