「ルポルタージュ中部「伊勢湾台風」」を録画で見た

この番組、中部圏では、6月に放送されていたのですが、この放送があったことすら知りませんでした。

ろーかる直送便 金とく シリーズ 現場再訪 ルポルタージュ中部「伊勢湾台風」 – NHK

伊勢湾台風といえば、戦後激甚災害第1号ともいっていいくらいの大災害である。

私の母親も、若い頃のこの台風の記憶がずっと頭に残っていたようで、台風が来る度に伊勢湾台風の話をしていたのを思い出しました。

伊勢湾台風の被害の代表的なものは、東海豪雨のような内水氾濫ではなく、沿岸部の「高潮」による災害である。

先日のNHKスペシャルではないが、スーパー台風クラスになると高潮が5mを越えたといったものである。

さてここで伊勢湾台風でどうしてこんなに多くの人が亡くなったのかと言う話になった。

取り上げられた地域は、被害の大きかった名古屋市南区である。

 

①名古屋大空襲に伴う戦後復興(100m道路建設を含む)によって、人の住んでいない土地への移転

このような所が高潮被害に遭ったところである。0m地帯と言われるところである。

元々は海、江戸時代以降の干拓地である。

戦災で行われた画期的な大復興(実際にはかなり乱暴な大復興)で住むところが無くなったため、地価が安いところに市営住宅が沢山建てられたという。

皮肉なことにお墓は平和公園や八事霊園のような丘陵地に、住宅地は低湿地帯にと言う結果になってしまっている。

当時の住民は、ときどきの床下浸水なんか当たり前、我慢して住んでいたという。

地盤が悪いため重たい鉄筋コンクリートの建物は作れず、木造平屋建ての建物が主体だった。

当時の都市開発責任者(都市開発・住宅開発)もこの高潮大災害については、後日、「油断していた」と大きく悔やんだという。

実は伊勢湾台風が来る前に、日本で一番最初に作られたハザードマップができあがっていたらしい。

これを当時の愛知県に持ち込んでも、相手にもされなかったという経緯があるようだ。

このハザートマップの通りに浸水被害に遭っている。

これを作った地形学者も大いに悔やんだという。

 

②高度経済成長期に貯木場が臨海部に多く作られ、高潮によって住宅地を襲った。

被災写真を見ると、ビックリするくらいの流木である。

ここの貯留された材木が、住宅地を襲ったらしい。

朝鮮戦争の特需で、収まりきらない量の材木が貯留されていたらしい。

これも伊勢湾台風襲来の前に、だいぶ問題視はされた居たようだが、実際の対策はとられなかった。

これが大勢の死者を出した理由でもあるようだ。

ここの貯木場は、確か・・・今は下水処理場だったと思う。

当時、小学生の子供達に「伊勢湾台風の被災作文」を小学校が書かせていたらしい。

東日本大震災でも、書かせている学校は有るかも知れないが、今だとPTSDだのなんだのと問題とされそうなことだなあと思った次第である。

 

さて・・・実は被害のあった天白川周辺については、仕事で3ヵ月くらい歩いたことがあります。

ここを歩いていると、地元の人に伊勢湾台風の話をちらほら聞いていたんですが、こんな惨事のあった場所とは知らないで歩いていました。

こんな立派な堤防が整備されているのですが、伊勢湾台風以降、被災履歴が無く、計画水位の変更によってかさ上げされたりして居る程度です。

でもここは被害が大きかった(死んだ人が多かった)のでかなり堤防は念入りに作られているなあという目で見ていました。

ただし、高潮は越流するものですから、伊勢湾台風クラスの高潮だとこの高さを超えることになるのでしょう。

やっぱり低い土地に住むのは私自身は考えられないなあと思った次第です。

 

(追記)

でも現実はこの通りです。仕方ありません。

https://twitter.com/t_holly/status/506974057313886208

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