あれから1年
今日で三陸沖で発生した巨大地震(M9)から1年になります。
私は名古屋に居ましたので、遠くで、でかい地震が発生した時に感じる鈍い揺れを味わったのですが、そのあとの津波の惨事、原発の問題まで状況を飲み込むのに時間がかかりました。
私は常日頃、防災の仕事をしていませんので、この1年被災地方向に向かうことはありませんでした。
一番近くても4月に東京都内に行ったきりです。
まだ計画停電がどうのこうの言っていた時期でしたから、暗い街が印象的でした。
現地の被災状況は全てテレビやインターネットから入ってきた情報で、私の頭の中に入っています。
地震では潰されてない家が津波に呑まれていく映像が印象的であり、いろんなものが流されていくのを覚えています。数日後に上がった福島第1原子力発電所のキノコ雲にも強烈な印象を覚えました。
全てはテレビから入ってくる画像情報で有り、それを見て凄いと思ったのでした。
日本では、人が亡くなったら遺族のことにも配慮し、棺桶以上のものを写真や映像で流すことはありません。
地震で、ものがめちゃめちゃに壊れたという映像だけ、そう阪神大震災の時の阪神高速の横倒しと同じようなレベルで考えていたのでした。
しばらく経って、外電のニューヨークタイムスのホームページに遺体安置所の写真、死体袋、いやそのままのご遺体の写真が掲載されたのを見ました。これはまだ綺麗なご遺体と言って良いのかもしれません。
やっと事の悲惨さが・・・ただ映像で知ることになりました。被災現場に行くようなことがあれば、また印象が違ったのかも知れません。
さて私は、三陸沖で発生した地震のあと、スマトラ大地震の時のようにその周辺域でM7クラスの地震が起きるだろうと素人ながら思っていました。1年経ってそのような地震は起きていません。最近話題になっていますが、首都圏直下型地震は、勘で3~5年のうちに起きるだろうと思っていました。最初の1年は起きませんでした。これも私の根拠の無い予想が外れてくれると良いと思ってます。
何の因果か、受験勉強に失敗し意図せず地質学を大学で学ぶことができたおかげで、今起きていること、これから起きるかも知れないことが、また頭の中に入ってきて理解出来ることにありがたいと思っている次第です。原子力発電所事故の放射性物質の拡散が火山灰と同じように追跡出来るという話も、自分で気がつきはしませんが、言われれば「あ・・・なるほど」と基本的なところで理解ができるようになりました。
さて、来年「あれから2年」というブログが書けるでしょうか。それは私はまったく予想がつきません。
こんな仕事をしていても、実際の私生活では災害に強い生活をしているわけではありません。さすがに新耐震基準前の古い賃貸マンションに住むのは、辞めておいた方が良いだろうという意識になり、引っ越しはしました。ぺしゃんこに潰れることはないと勝手に思い込んでいます。