私は本社に近寄りたくない

本社に行きたい人が多くなると現場の力が衰えるとは良く言ったもんだな。
まだうちの会社はボロボロだけど、本社に生きたいと思わせないのだからまともかも知れない。
(そうやって自分自身を思いこませているだけです。はい。)

本社ビルと経営者の勘違い: 宋文洲のメルマガの読者広場

本社ビルと経営者の勘違い
経営者の間でよく伝わる噂があります。それは「○○社が一等地に立派な本社ビルを建てたので経営もそろそろ怪しくなるのでは」という噂です。全部が当たるわけではありませんが、結構な確率でこの種の噂が当たってしまうのはなぜでしょうか。

言うまでもありませんが、企業の唯一の価値は顧客からの評価(顧客価値)。顧客からみれば企業の価値は全部現場にあるのであって、本社にあるわけではありません。本社が強ければ強いほど、現場の決定力が弱くなるのは想像に難しくありません。現場が弱くなる企業は顧客から評価が上がるわけがありません。

立派な本社ビルを建てること、特に便利な一等地に建てることは、飲みに出るのに都合が良いなどの経営者の潜在心理を反映しているのではないでしょうか。本社は権威的で居心地のよい場所であればあるほど、幹部がそこに集まりたくなり、企業全体の気持ちが「官尊民卑」になり、現場の力が弱くなるはずです。

特に世界中に顧客を持つメーカーにとって日本の繁華街に本社ビルを建てる必要はないのですが、建てた経営者の多くは一等地に本社を出すことがブランドに繋がると考えてしまうのです。しかし皆さん、よく観察して欲しいのですが、金融や商社などの信用商売を除けば、一等地にビルを建てる企業はその後殆ど衰退に向かうのです。

問題は現場が弱い企業も決して弱いことに気付かないのです。日本の著名なメーカーの著名な経営者がよく新聞や雑誌で「現場」を語っていましたが、私が知っている限りでは、彼が行く「現場」では赤い絨毯が敷かれたり、部下や代理店の接待が待っていたりします。平社員の苦情や工場倉庫の在庫や社員宿舎のゴミなどに触れる訳がありません。

一等地に立派な本社ビルを建てる企業の経営者は決して頭が悪くなったわけではありません。経営の単純な理屈は誰よりも分かっているのです。問題は気付かないのです。問題は勘違いなのです。自分が聞こえた話は本当の話だと思いますし、自分が見たことが真実だと思います。会った部下は普通の部下であり、部下に同行して訪問した顧客が平均的な顧客だと勘違いするのです。

「臥薪嘗胆」という言葉があります。これは失敗した国のリーダーが再起を図るために国王が敢えて身分相応の宮殿を離れて粗末な場所に住み、硬い薪の上で休息し、苦い胆を舐めるというのです。国王がそんなことをするならば、周辺の大臣や官僚が立派な場所に住むわけにもいかないので、民衆や兵隊の中へとよく足を運ぶようになります。

人間は紛れなく動物です。動物の精神は紛れなく体現や環境から最大な影響を受けます。企業という人間の塊は会議や教育などによって変わるわけがありません。一等地にある立派な本社が経営の気持ちを現場から遠ざかる環境を提供しているのです。

「我々は付加価値の高いビジネスに集中」、「わが社は世界トップレベルの技術を維持する」、「決して外国にノウハウが盗まれないように」・・・立派な本社ビルにこのような傲慢な言葉も飛び交うのです。しかし、世界中の顧客はそれと全然関係のない価値体系の中で別な選択をしているのです。

立派な建物に問題があるわけではありません。そこに陣を取る経営者達が勘違いと思い込みの激しい集団に成り遂げていくのです。

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