津波に対する世の中の人の目

今回のチリ地震の津波警報、「大山鳴動鼠一匹」なんて思われている方が多いのだろうなあと思ってしまう。

私なんぞは、いやいやこんな程度で済んで良かったんだよと思うのです。
1960年に発生したチリ地震の際には、こんな情報が伝達する手段が無かったわけで、三陸海岸の沿岸部の人が大勢亡くなられたわけである。

今年2010年、50年ぶりにきたチリからの比較的大きな津波は、前もって情報が提供されたわけで、確かに大げさすぎたのかも知れないが、遠方から来る地震津波のメカニズムが全て解っていないなかから1時間の誤差で予想しただけでも凄いと思うのである。それに対する情報伝達もである。
テレビカメラに冠水した岸壁を歩く人が居たのは・・・勘弁していただきたいところではあるが・・・。

しかし、こういうブログが世の中を跋扈しているわけですから、困りものだと思う。
50年に一度程度の使者に、敬意を表して対応しても良いのではないか?と僕は思うのである。
「役人が自信の保身を楯に動いているのも解るし、お上至上主義の問題もわかるし、防災は国がしてくれるものだというぬるいコクミン感情も解るが、そうやって何事に対しても舐めていると、痛い目を見ると思うなあと感じた次第である。
民間の気象予報会社(例えばウェザーニュース)が今回の超遠方の津波予報なんて検討できても、自信持って発表はできないと思うのでありました。

こんな日は1日休んだらいかが?と申し上げたい。

Letter from Yochomachi: 大津波、さんざん大騒ぎしたあげく結局10センチから60センチ

今日は朝から大津波のニュースばかり。NHKなんぞはすべての番組をキャンセルしてこればかりやっていた。50万人が避難を強制され、東名高速道路も閉鎖された。JRも閉鎖された区間が限りなくある。蓋を開けてみれば、大びっくり。最大でたかが60センチの「津波」だ(午後8時現在)。「たいしたことがなかってよかったね、人の命は地球より重いもんね」とは、こういう時の決まり文句。でも、ここにこそニッポンの本質的な問題が存在するのだ:

つまり:

1. 「安全」のためにはいくらコストを掛けてもいいという神話。これを口実にニッポンの「社会コスト」は際限なく増加を続けてしまい、日本は国際競争に敗れてしまった。役人は自分の身の保全が一番大切なので、常に安全パイを選択する。そのコストを払うのは一般国民だが、お役人にとっては自分のお金じゃないので「安全至上主義」にチェックが効かない。
2. 気象庁というお役所がこの種の情報を独占しているという弊害。この種の情報が独占されなければいけないという合理的な根拠はないように思う。先日、たまたま民間気象会社が台風の上陸地点について「お上(気象庁)」の見解とは違う判断を顧客に流したと言うことで気象庁から「厳重注意」を喰らった。これについては以前に書いたが(ここ)、なんで気象庁がニッポンのすべての四季を決定しなければならないのか? これこそ「権威主義」である。不思議でならない。ニッポンにおいては彼らの判断を第三者の立場から査定するすべがないのである。ハトポッポ君内閣は「危機情報の収集が大事である」と言っているが、だったら民間気象会社にも津波上陸予測を発表させるべきではないのか? しかし、「お上」一辺倒のニッポンでは、これは禁止されているのである。
3. 三つ目は、安全はすべて「お上」が国民に対して保証するべきであるというニッポン国民の甘え根性。これこそ、テレビのアホ「水戸黄門シリーズ」が大人気を続けている所以でもある。手前の安全確保ぐらいは自分の判断でやったらどうなのかと思うが、こう言うときになるとニッポン国民はすべてお上に頼る。だから限りなくお役人の数が増えてしまい、それでメシを食う人間の数(つまり「狼少年」的な消防団コストと天災被害での「焼け太り」する受益者の数)も限りなく増加してしまったのである。

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やっぱり日経は強気だ。