うちの親父の誕生日は1945年1月11日なんだが、東南海地震の話は死んだ祖父祖母から聞いたことは無い。

うちの親父の誕生日は1945年1月11日なんだが、当時の話を、死んだ祖父祖母から聞いた事はありません。

よその戦前から生きたひとと同じように、戦争の話すらしない人だったので、今思えばもっと聞いておけば良かったと思います。

(聞いても話してくれなかったのかも知れませんが)

でも豊橋は昭和東南海地震でさほど大きな地震被害が無かったのかも知れません。

その後起きる三河地震(1945年1月13日)の話も聞いたこと無い。

当時の空襲も酷くてわけわからん状態だったのでしょう。

 

昭和東南海地震の愛知県における家屋被害の調査結果が取り上げられていた。

これを見るとやはり被害が酷いのは沿岸部で地盤の悪い所のようだ。

この記事では、河川(古矢作川)の後背湿地での家屋被害が酷いとまとめられている。

古矢作川の流域に広がる肥沃な後背湿地を治水して(付け替えて)利用したという江戸時代の開発は、大地震が起きたときには何度となく被害を受けたのかも知れません。

【温故地震】昭和東南海地震(1944年) 自然堤防の背後で強い揺れ 都司嘉宣+(1/2ページ) – MSN産経ニュース

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