田原市(旧渥美町)の堀切はかつてから津波の通り道だったのだろうなあ・・・
東日本大震災以来、太平洋岸でも津波が来たらと言う話が、活発になってきました。
私の生まれ育った豊橋というところは、太平洋に面しているのですが、海岸線にそって丘陵地になっており、低地はありません。
だから津波が来ても、太平洋側からは大きな被害は無いかなあと勝手に思ってる次第です。
でも渥美半島の先端の旧渥美町は低地になってる部分もあります。
堀切なんて名前、どう見ても水が通ったような地名です。
戦時中の東南海地震でも津波は来てると思うんだけど・・・
この地域は、豊川用水が出来るまでは、田畑をするには大変だったところだと聞いています。
豊川用水が本格的に整備されたのは戦後ですから、この辺りの圃場整備、宅地化は戦後進められたのかも知れません。
あくまで頭の中の空想ですから、また田原市史や渥美町史を見てみたいなあと思った次第です。
津波、この線まで逃げれば助かる 愛知・田原、道路に印:朝日新聞デジタル
備えあれば憂いなし