東日本太平洋沖地震10年

10年経ちました。

東日本大震災【NHK特設サイト】3.11 あの日から10年|NHK NEWS WEB

毎年書きますが、私の人生の期間で、人間ではなんともならない自然現象であるあの大津波の生中継が見られると思っていませんでした。

ここのところはヒューマニズムの話ばかりなので、まあそういうものなんだろうと他人事に見ています。

私が被災者になっていたら、こんな前向きに生きているとは思っていません。

腐って酒浸りになってるだろうし、10年生きられていないだろうと思います。

被災者の中にはそういう人も居られると思います。そういう人には光が当てられないだけで。

朝ラジオで御厨先生が言っていました。「作り過ぎちゃった震災復興住宅」。

あぁ私は、復興にあたりトリアージすれば良いのにと言っていました。

でも公共事業は、分け隔て無く平等にお金を使うことが至上命題であり、金が普通に入る所は民間がやれば良いんですよね。

公共事業で効率が上げられるわけがないわけで、公共事業は焼け野原に撒くの種みたいなものなんだと思います。

大きく成長して花を咲かせるものがあれば、どうしようも無いものもあります。

頭で考えて計算して種を蒔けとヒステリックに言っても仕方がないわけで、人間が考えて居ることと違う風に世の中が流れることを思えば、無駄というのは何を持って無駄と言うのか解らないなあと思うのです。

10年経った今、これもまた想定していなかった新型コロナウイルス感染症で、世界中で被災者みたいになっています。

景気の下支えをするためにいろんな事業が出ています。

穴掘り屋には、何だこれ無駄な事してるなあと思うことも多いわけですが、無駄なことをするのが公共事業だと思えばそんなヒステリックにはなりません。

オレの血税なんて言うほど支払っておりませんし、いろんな公的扶助を頂いています。

公的扶助を頂いているから、私は日々仕事に勤しむことができることができるのです。

「そんなものに金を使うのなら困った人配ったら良い。オレも配ってくれ。困ってる。」という話をよく聞きます。

まあそんな人にはただ吞んで喰っておしまいなわけで、それが一番無駄なことなんだろうと思います。

どんどん話がそれていきました。

震災が変えた公共事業ってのが建通新聞にでていました。

「担い手不足が顕在化」も担う側からみても感じています。

それよりももうそんな直轄の公共事業に参加できるほどの体力が私にありません。

色々削がれました。削いだヤツはガーガー言っていますが。

落ち穂拾いをしながらやっていこうと思います。はい。

 

 

 

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