鉱物学は、人間社会と一緒だ・・・
「鉱物学は人間社会と一緒だ・・・」、これは、鉱物学の授業の一番最初の言葉でした。
深成岩の例でこのような話が出てきたのですが、晶出温度が高い鉱物は、結晶が自形結晶となり成長するのですが、そのような自形結晶ができあがったあとは、他形結晶しか成れないという話のたとえにこういう話が出てきたのです。
例えば、環境(マグマ成分や圧力)が違うと、晶出鉱物も変わってきます。
環境が変われば、普段は他形鉱物であったものが、自形鉱物になりうるという話です。
ペグマタイトでは、六角に晶出した水晶(石英)の美しい結晶を見る事は出来ても、花崗岩中ではそんな形は呈することは出来ません。
さて今はその人間社会のなかでどっぷりつかっているのですが・・・
自分の我を出してしまって自形鉱物になってしまう方が楽なのか?
他形鉱物に周りを囲まれて真綿でクビが締まるといった感じです。
いわゆる四面楚歌という状態であるかもしれません(笑)