予察地質図
日本に地質学が導入された頃に作られた地質図が「予察地質図」というそうです。それが、岩手大学の図書館で見つかったのだそうです。
作られた時代背景は、「ナウマン博士」が日本に来て地質図を作ったころのものになります。
それだけでもびっくりなのですが・・・。
宮沢賢治もこれを見ているかも知れないと言う話であり、面白い話になっているのである。
宮沢賢治ってついつい文学の人と思ってしまうんだけど、農学校出身なんですよね。
ん?愛知県豊橋市で地質学史の国際学会が来年開かれる。
へぇそうなのか・・・たぶん今じゃ何処の高校も地学教えてないのにねえ・・・。
うちの高校にも地学室ってありましたが、ただのがらくた部屋になっておりました。
宮沢賢治も使った?国内最古級の地質図発見 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
宮沢賢治も使った?国内最古級の地質図発見
岩手大で発見された予察地質図・東北部(日本地質学会アーカイブス委員・金光男氏提供)宮沢賢治が盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)で地質学や土壌学を学んでいた当時に使用されたとみられる国内最古級の地質図や文献類が、岩手大学情報メディアセンター図書館で見つかった。
日本に地質学が導入された当初の状況を知る上で第一級の資料。賢治の残した原稿には、これらの文献を示したと思われる記述があり、専門家の関心を集めている。
発見されたのは1880年代に当時の農商務省が作成・出版した最も初期の官製地質図「予察地質図(東北部、東部、中部)」など30枚以上の図類と、和洋の専門書約200冊。昨年10月に日本地質学会地質学史アーカイブス委員会や産業技術総合研究所(産総研)の合同調査チームが同図書館を訪れ、確認した。
予察地質図は、明治政府の招きで来日したドイツ人地質学者で、化石ゾウ「ナウマンゾウ」に名前を残すナウマン博士が現地調査などを担当。全国五つの調査地域のうち東北部が最初に作成された。今回の発見から同図の資料構成や改訂、印刷の状況などを知ることができるという。
賢治は1915~20年に同校に在籍。発見された資料は当時、教材として使用されていたらしい。岩手県南部の「種山ヶ原」を題名にした賢治の随筆原稿には、この地質図を指すとみられる「古い地質図の古生界(古生代の地層)に疑いをもっていた」との記述もある。
これは、同県南部の古い地層を石灰岩を含む秩父地方(埼玉県)の古生界と同種としたナウマンの解釈に対し、現地の浸食状況などから起源の異なる岩石ではないかと反論を試みようとしたものと考えられ、賢治の指摘は現在の地質学による解釈により近い。
宮沢賢治学会会員の加藤碵一(ひろかず)・産総研地質調査総合センター代表は「当時の学説を記した資料で、賢治の作品にみられる専門用語や知識の背景を知る上で重要だ」と話している。調査チームは詳しく分析し、来年夏に愛知県豊橋市で開かれる地質学史の国際学会で発表する予定。
◆地質図=特定の地域内にある地層(岩石)の分布を種類や年代ごとに色分けし、地質構造を示した図。断層や地滑りの危険性、地下断面なども示され、学術用途以外に、防災や土木、資源探査など実用面でも活用される。
(2010年7月13日15時15分 読売新聞)