あれから10年・・・(技術士試験)
今日は技術士試験二次筆記試験の合格発表だったらしい。
私は、そんなことはどうでも良いような最低最悪な気分になる現場に毎日通っているのだが、あれから10年が経った。
2003年の夏、やっと技術士試験が受けられる身分(実務経験8年)になったので、記念受験をした。
当時の私も、私に対して厳しい指導を施してくれていた上司も、周囲の誰も受かるとは思っていないので、気楽に受けた。
いやあ~疲れたなあ。筆圧が高いから肩が凝るのかとそんな気分で夏が終わった。
2003年の秋に、会社のお荷物である私は、大阪にいてもすることが無いので、仙台に里子に出されて、牛タンを御馳走してもらいながら、のんびり派遣先の事務所で仕事していた。
大阪に居るときよりも帰宅時間は早いし、土日は休み。大阪より労働環境は素晴らしく良いのです。山形まで板蕎麦を食べに行く余裕すらあった。
そのときお世話になった仙台の人に、「今日技術士試験の筆記の発表なんだってねえ・・・はっぴ~まんは受けたの?」という話をしたのを覚えている。返答は、「いやいや3年計画の1年目で、今年初受験ですから結果なんて見なくても良いですよ。受験番号の控えも無いですし・・・」と答えた。
あんまり仙台で遊んでいるので、お役ご免となり、大阪に帰されたのはその二週間後である。
たっぷり溜まった郵便受けのダイレクトメールやら、大阪ならではの宅配風俗のチラシやらの中に技術士会の郵便物が・・・
気がつかなければそのままゴミ箱に投げ捨てるくらいに埋もれていた。
今でこそ不合格通知が来るのを知っているが、合格通知しか来ないと思っていた29歳の若造は、それを見て震えた。
「え?受かったの?」馬鹿である。
そのまま不合格通知だったらそれで笑い話だったのだが、そこには○月○日にフォーラム8に来なさいと言う召集令状である。変な直感が当たったわけである。
それからはいろんな意味で面接試験までビギナーズラックの私は悩み続ける事になるのでありました。
そういえば、今のうちのかみさんは、仙台から帰った日、伊丹空港で初めてデートしたんだったな。
当時のかみさんに、「いや・・・夏にこんな試験受けてね。発表が先日有ったんだけど、手応えも無いから、まだ結果知らないんだわ・・・」みたいなことを言った。
家に帰って、「あ・・・受かってた」と初めて他人に報告したのも当時のかみさん。
そうか・・・あれから10年か。妙な縁で今でも一番近いところに居てくれる人になったのか・・・。