水田に水を張ったら、遺跡が水没したでござるの巻
稲作(水田)というのは、期間中、地表を洪水状態にしておくことであり、地下水涵養(地下水位上昇)に寄与していると言うことを知らない人が多いのだろうか?
まあそう言うわけで、水田に水を張ったら、周辺の地下水位が上がっちゃったので、発掘中の遺跡の地表面よりも高いところに地下水位が出来てしまったようです。
よく有る話で、冬の間に橋脚基礎を床堀して基礎工事しており、この時期になっって、その周辺の山留や法面から水が噴き出したなんて話ですな。
まだ水道が発達していなかったころは、この水田を通じて涵養した地下水を、家の庭の井戸から組み上げて生活用水として利用していたのですが、今となってはそういう話も無くなっています。
水田地帯の地下水位が季節を通じて上下すると言う発想におよばない人も多いのでしょう。
水田も水耕期間中、ずっと満々と水を湛えているわけでは無く、しろかきの時は水量が豊富ですが、中干しの期間とか有りますから、地下水位も微妙に上下すると思います。
そんなようなところの遺跡ですが、たぶん乾湿繰り返しをしてしまうと一気にあとかたも無く崩れるでしょうね。