天網恢々疎にして漏らさず

今の言い方からすれば、担当検事(?)GJ(グッドジョブ)ってところなのでしょう。
携帯電話の契約で足がつくと言うのは凄いことである。
今じゃ、何するにしても携帯電話が無いと始まらない訳で、日雇いの仕事をもらうにしても携帯電話がないと話にならないと言うことでしょう。
逆に言えば、携帯電話で僕たちは監理されているのかもしれません。

32年間逃亡しても、この場合は「時効」にならないようです。
逃げている人は、ちゃんと「ケリ」をつけた方が良いようです。

中日新聞:32年ぶり公判再開へ 名古屋の死亡事故、所在不明の被告確保:社会(CHUNICHI Web)

32年ぶり公判再開へ 名古屋の死亡事故、所在不明の被告確保

2008年10月16日 朝刊

 交通死亡事故で在宅起訴され、名古屋地裁で裁判中に行方不明となっていた72歳の男の被告が見つかり、32年ぶりに公判が再開されることが分かった。この間に弁護を引き継いだ弁護士は3人。最初の2人は他界しているほか、起訴状も今は横書きの活字だが、この男の起訴状は手書きの縦書きと時代の流れを感じさせるものとなっている。

 男は当時、愛知県春日井市に住んでいた元大工、古川賢助被告。起訴状によると、事故は1975(昭和50)年11月14日夜に発生。名古屋市港区の信号のある交差点で古川被告のトラックが右折しようとして、対向してきた大型トラックと衝突。被告の隣に座っていた男性=当時(27)=が頭を強く打ち、死亡した。

 76年5月に業務上過失致死罪で在宅起訴され、同年7月の初公判で被告は「運転は死亡した男性がしており、自分はしていない」と起訴事実を否認した。しかし、第2回から第4回の公判は裁判所に姿を見せずじまい。「神戸にいる」との情報から、83年に第5回が開かれたが出廷しないまま再び所在不明になった。

 関係者によると、被告が携帯電話を契約したことを名古屋地検の担当係官がつかみ、自宅として登録している大阪市で9月に身柄を確保した。被告は無職だったが「それまでは土木作業員などで全国を転々としており、裁判から逃げたつもりはない」と話している。

 久しぶりの公判は11月5日で、被告人質問が行われる見通し。被告は逃亡の恐れがあり現在、拘置中。

 今回の裁判と同様のケースでは、成田闘争の活動家が出頭し29年ぶりに公判が再開したケースが今年6月に千葉地裁であった。

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