おじの死因

うちの次男坊のお宮参りには、僕の両親も来てくれて、盛大なお宮参りとなりました。

暴れん坊の長男が、元気いっぱいだったので、嫁さんや嫁さんの両親が、「また始まった」と呆れていましたが、元気の良いのは何よりである。まあ「かんしゃく」もちなので、さっきまでゴキゲンだったのが、一気に暴発するのが怖いというのもあります。

 

さて、うちの両親に会うのは、先週亡くなった「おじ」の通夜以来である。

親父は、葬式の裏の段取りをやっていて、あまり話す機会もなかった。

親父の兄弟では下から2番目に当たる人が亡くなったわけだが、初めて兄弟が死んだということに、気落ちしているか・・・と僕は心配していた。

色々と忙しかったようで、落ち込んでる暇もなくというのが正直なところである。

 

ちょっと早く両親がうちに来たので、通夜だけの参列で葬式に欠席したことをわびて、そのあとの話を聞いた。

亡くなったおじは、結構暴れん坊だったらしく、19歳の時に、「単車」で事故をして、脚切断するという大けがを負っていたことは僕も子どものことから知っていた。

僕が信州松本に住んでいるときに、どうしてもバイクの免許が欲しかったが、大反対され、その理由も十分理解していたため断念したと言う経緯がある。

まあ、その大けがの時の輸血が、今話題の「C型肝炎」に汚染されていたわけであり、5年くらい前には肝硬変の状態になっていたようだ。

奥さんは10年以上前に亡くなっているので、病状が悪化するころに先立たれてといった感じだったらしい。

C型肝炎については、ろくな治療もしていなかったのではないか?そんな気がする話だった。

「調子が悪いから入院する」と、亡くなる前日に病院に自分で行き、そのことをうちの親父に電話で報告をしたそうである。

親父は、その翌日見舞いにいくように準備していたところ、危篤状態になってしまったようだ。

最終的に、血管を破裂されたらしく、吐血してしまったとのことである。

輸液の量が半端ではなく、通夜であったおじの顔は、全体にむくんでしまい僕の知っている顔ではなかった。

僕は、水死者を見たことはないが、もしかしたらこんな顔になってしまうのだろうか?と思ってしまったくらいである。

 

おじの奥さんも膵臓ガンだったか、乳ガンだったか忘れたが、かなり症状が悪化してから病院に担ぎ込まれたと聞いたことがある。

病院の診察では「予後2週間」という宣告を、家族や親戚に伝え、本人は告知もされず病室に軟禁状態だったそうである。

何の治療も、痛み止めの緩和もせずに、医者の言ったとおり2週間後に亡くなった。

 

人の生き死にというのは、突然やってくることは解っている。

普段は平凡に生きているから、明日は同じようにご飯を食べて、仕事に行きなんてことしか考えていない。

僕の両親も含めその世代がそろそろ、そういう時期を迎えるのだろう、老衰で死んだ祖父母を見ているのだが、一方ではこのような現実もあることを少しずつ覚えておいた方が良いのかも知れない。

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