成果と効率とスピード・・・そして努力の心

堀江貴文氏のブログは、彼が保釈されて復活したものもずっと読んでいる。
彼の意見は極端で、この人が日本で生きて行くにはそりゃしんどいだろうと思うことが多い。
彼が被告人の身分で無ければ、既に海外に行って、もっと自分の思うように生きているのかも知れない。

少し最近引っかかった記事があるので、ひとつ。ボランティアでの寄付の話だ。
子どもが障害者のために寄附をしたいので、プルタブを集めていたのを父親が制止したという話だ。
その父親は、「それを買ってやるから、他にやるべきことをやりなさい。」と言ったとのことだ。

話は脱線するが・・・
目指す成果を追求するためには、段階にしたがった目標設定と目標達成のための継続が必要である。
しかし、然るべき処の見極めが必要ではないか?とこの歳になって今さらながら思っている。
時間をかけて物事を達成させるプロセスを知るには、それを経験しないことには覚えない。
このことは、「努力」という言葉で、日本の学校教育では、努力する子=良い子として扱われているのである。
それはそれで大切なことだと思うが、それだけで終わってしまっては、何も生まれないと思うのである。

ただ努力する(時間をかける)だけでは無駄である。
然るべき処で見極めることを、何処かでしないといけない。
センスがない(苦手なこと)を一生懸命やっていても、周りの人には「頑張ったのにね・・・」と労われるだけで、自分の得たいものが得られなければ、それはまた不幸である。
自分を見極める目というのも何処かで、つけていかないといけないわけだ。

時間を無駄に使うという定義は、難しいところがありますが・・・。
書き始めて収拾の付かなくなった内容になっちゃいました。

埋められない溝|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」by Ameba

なんか話は全然別だけど、この手のイデオロギー対立の話はいくらでもある。
たとえば私の友人の経営者がこういっていた。
彼は別れた奥さんとの子供が、障害者のための車椅子の寄付活動にプルタブを集めていた時のことだ。

「そんなことに時間をかけるなら他にやるべきことがある。車椅子は俺が買ってやるから」

と言ったそうだ。その活動を薦めたのは奥さん側のお義父さん。彼にそれを伝えると

「そんな問題じゃないんだ。コツコツ、プルタブを集めることに意味がある」

と彼の車椅子寄付の話を断ったそうだ。結局何がやりたいのか。私の友人側の論理で言えば車椅子を障害者に寄付することに賛同して何台かを自己資金で寄付することを申し出た。それが社会貢献活動だと思っていた。コツコツ集めることに意義は感じない。

平等な時間と機会と効率とプロセス|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」by Ameba

プルタブのお父さんの真意は、ボランティア活動は大事であるがプルタブを集めるのに時間をかけるのは無駄であり、ボランティア精神を息子が持っているのならお父さんが寄付してやるから、その時間を他の勉強やら大事な事に使いなさいということだったわけだ。

プルタブを集めるプロセスを通じてしか障害者を助ける気持ちを持てないということは無いだろう。普段からそういう気持ちを持ち続けていればいいことだ。それは単なる精神論であり、そのプロセスを通じてしかそれが理解できないということであれば、それは理解力の不足としかいいようがない。

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