因果応報

僕は「因果応報」という言葉が好きだ。好きだったと言うべきだろうか。

良いことをすれば、巡り巡って自分に返ってくる。
悪いことをすれば、巡り巡って自分に返ってくる。

そういうものだと思っていた。
だから自分を守るために人を欺くこととかそういうのは、巡り巡って欺かれるものだと思っていた。
でも因果応報というのは、「原因」が無けれは「結果」は生まないと言うことだけなのだそうです。

「自業(じごう)の因果」

「今悩み・苦しんだり、あるいは喜びがあるのは、誰のせいでもなく自分自身が積んできたところの業(ごう)に因(よ)るのである。」

「一善を行ずれば福至らずと雖(いえど)も、自ら禍(わざわい)遠のく。一悪を行ずれば禍(わざわい)未だ至らずと雖(いえど)も災害自ら近づく。」

「ひとつの善を行なえば、福はすぐに至らなくても災いが自然と遠のくであろうし、逆にひとつの悪を行なえば、災いがすぐ来なくても災害が必ず近づいてくるのである。」

そういう風に思っていた方が、楽なのかも知れません。
自分自身気がついていない「業」も多いのでしょう。
少し気分が楽になったかな・・・
「蓮行寺」の小牧住職さん。ありがとうございました。

因果応報|人として生きる上で大切なこと 「こころのものさし」

御 教 歌

        なすわざは よかれあしかれ むくふべし

          火はあたたかに 水はつめたし

 自分の為す行ないは、善かれ悪しかれ必ず報いがくるのである。火に近づけば暖かくなり、水に触ると冷たくなるかのように・・・

コメント

  1. saykiyo より:

    下の外様と話が繋がっているのでしょうか?
    僕の場合は、派遣と異動で合計15以上ですので、常に外様である訳で、先日のゴタゴタもこれが根本にあると思います。
    因果応報や自業自得っているのは、半分正しいですが、半分は正しくないです。どんなに努力しても救われない(報われない)人がいます。
    誤解を受けるかもしれませんが、「あきらめる、身の程を知る」ことを知ることは、「努力する」の次に重要だと思います。努力した人が皆金メダルを獲れるわけでは無いですから(後ろ向きな言葉ではないですよ)。

  2. happyman より:

    saykiyoさん。コメントありがとうございます。
    外様と話が繋がって見えますか?
    今、多く抱えている問題の原点は「外様」にあり、ただ自分自身で出来ることは、「因果応報」でしかないと思っています。
    武田先生のブログをちょっと前に紹介したのですが、僕らは「目標」を定めた行き方を小さい頃から教育されてきました。だから目標を定めないと生きていけないという錯覚に陥ります。でも果たしてそれが正しいのでしょうか?
    目標を定めてしまうと、結果が得られないときの空虚感は何物にも代えられません。
    僕は定めた目標のうち、いくつ手に入れることが出来ただろう?と思い返してしまいました。思い返せば返すほど、何をやっていたんだろう?と言う気持ちになります。
    だからもう求めない方が良いのかも知れません。
    今、できることをやり、今、必要でなかったり、必要とされていないことはやらない。
    「身の程を知る」のは僕も大切なことだと思います。
    自分は少し気がつくのが遅かったような気がします。
    「因果応報」と「自業自得」というのは同じ意味なのかな?ちょっとこれは調べてみます・

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