やっぱりおおかみ

「やっぱりおおかみ」という絵本があります。

もっとこの本に若い頃に知り合っていれば、よかったかも知れないと思う一冊でもあります。

あらすじはここでは書きません。有名で簡単な絵本ですから、図書館ででも見ていただいたら良いと思います。

この本の主旨は、「自分は自分なので、無理に他の人に合わせる必要は無いんだ」ということだと思います。

 

この絵本の話を出したのは、野茂選手の話に続きます。

僕は、野茂選手に対して、「先駆者」ということを前回書きました。

野茂選手は、先駆者になろうと思って、この世界に飛び込んだのではないと思います。

ここの「おおかみ」のように周囲に理解されない世界があると思っています。

周りの群れた動物(庶民)が、おおかみ(野茂選手)のことを深くえぐろうとしても、それは野暮というものです。

(オリンピックに出場するような)達観した人の世界というのは、そういうものなんだろうと思っています。

僕は、野茂選手の引退については、一般的な先駆者の評価までの記事で辞めたのはここにあります。

これ以上、僕がどうのこうの書くことは出来ません。

 

話はかなり飛躍します。「かんじょうろん」について、ここに書くのはおかしいと思いますが・・・

「かわいそう」理論は、残念ながら、「私はこの当事者にならずに済んでよかった」という心の安定に過ぎません。

人(庶民)は自分より立場的に下の存在を見て、心の安定を得るものであることは否定できません。

誰も野茂選手がどうして大リーグで通用したのかを検証しなかったことと同じように・・・感情でご苦労様と言うのと一緒のことです。

たぶん達観した「おおかみ」は、そういうことをしなくなった存在(する必要が無くなった存在)だと思います。

難しいコメントを戴いていたので、僕はこうまとめさせていただきました。 
 

 

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