熱田台地(熱田層)とN値について

私は、大阪で地盤調査の「いろは」を習ったので、沖積層と洪積層の考え方は以下の通りと考えておりました。
沖積層:砂質土層はN値がN=10以下の緩い地盤。粘土層はN値がN=4以下の軟らかいもの。
洪積層:砂質土層はN値が、N=30前後のしまった地盤、粘土層はN=5を超えるもの。
何も考えずに杓子定規で考えても、だいたい沖積層と洪積層(段丘層・大阪層群)の区別ができました。
(理解が偏っていたら、もうしわけありません。そんな程度の認識で仕事していました。)

名古屋の地盤のうち洪積層とされる、熱田層のN値は実はN=10前後しかありません。
N値だけで考えると、これは沖積層としてしまいがちですが、熱田層の中には、御岳火山より由来する軽石(建設用語では浮石(ふせき))というものが含まれていることが解っています。
そのため、沖積層と熱田層の見分け方は、軽石が含まれているか、ならびに凝灰質であるかであるか?というのが見分けるポイントとなります。報告書では、それを基に断面図を作成します。

さて、熱田層はN値が低い砂質土層が表層に分布します。
建設地盤においては、大地震における液状化による災害が危惧されてしまいます。
実際のところ、熱田台地は地下水位がやや深くなっており、熱田層が表層で飽和されているということはありません。
また、重要構造物の調査においてサンプリングを実施し、液状化試験を行うと、沖積層の地盤と違い、液状化強度が高いと言う評価がされています。
以上の点から見て、熱田層では液状化が生じない(生じにくい)地盤と言われているのです、

N値では、沖積層とさほど強度が違わないのに、地震時には異なった挙動をする。
熱田層はN値だけではなかなか評価できない難しい地盤だと言えます。

しっかりした地盤の熱田台地

 名古屋城は熱田台地(図1)と呼ばれる名古屋の中心部を南北に延びる台地の西北の角に建てられました。約5~15万年前にできた熱田台地は、周辺(北や西)よりも6~10m高く、名古屋の中心部ではもっともしっかりした地盤となっています。台地が約5~15万年前にできたことは、熱田層の中部に含まれる御岳火山に由来する約8万年前の軽石からわかっています。熱田台地という名前は台地の南端に建っている熱田神宮に由来しますが、古出来町一今池一御器所一笠寺観音に至る地域も熱田台地の一部です。
 築城に際して、石や材木などの建築資材を運搬するために熱田台地のすぐ西側の低地に堀川が掘削されました。江戸時代、熱田神宮の南には浅い海が広がっていたので、遠方から堀川経由で多くの物資が運ばれてきました。その代表格が名古屋城の石垣のなかで最大の清正石という御影石で、瀬戸内海の石切場からイカダで運ばれてきたものです。堀川が熱田台地のすぐ西にあることは、名古屋中心部の栄から名古屋駅の方に向かって、堀川にかかる納屋橋や伝馬橋を越えると標高が数m低くなることからよくわかります。
 熱田台地の北の端でも標高が急に低くなることは、栄から大津通を北へ向かうと市役所の先の国立名古屋病院の横で急な下り坂(高低差:約10m)になることで納得できます。今でも急な下り坂を残す熱田台地の北端は、昔はもっと急な崖だったと思われます。熱田層下部の粘土層は水を透しにくく、上部の砂層は水を透しやすいので、その境界部から各所で湧き水が出ていたと思われます。名古屋城の少し東で熱田台地の北端にあたる「清水口」という地名は、台地の北の崖から出ていた湧き水に由来するのでしょう。

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