「死ぬ死ぬ詐欺」って何?

happymanです。
オレオレ詐欺とか・・・いろいろ他人からお金を頂戴する人は多々いるようです。
最近、「死ぬ死ぬ詐欺」という分野があるそうで、かなりネットの世界では叩かれているようです。
「死ぬ死ぬ詐欺」とは、「○○ちゃんを救う会」という、重度難病の子どもを海外で移植手術をしようと募金してもらうことらしいです。
確かに、最近は難病の子どもの「救う会」というのがいっぱいあって、いっぱいテレビで流れて、見ている僕もたくさんいて「誰が誰だっけ?」状態に陥っている。
まあ本当に「援助を必要としている人」と「それを利用している人」と玉石混淆な状態になっているのが現状であろうかなと見ている。普通の貧乏サラリーマンが助けてくださいと言っているのと、某放送局の高給取りが、助けてくださいと言っているのでは、ちょっと印象が違うと言えば違うかもしれません。
「死ぬ死ぬ詐欺」として敵視している人たちは、人から援助してもらったお金に対して、使い方がおかしいのではないかと疑念の心を持っているようである。患者の渡航費や手術費のほかに、家族が現地で生活して飲み食いする費用とか・・・まあ使途が不明なのでけしからんということらしい。
残念ながら亡くなった子どもの葬儀代もここからでているとか・・・まあ色々なことを言っている。
僕はそういうのには募金しないので、ここで意見を述べる立場にない。
募金しない理由は、Aさんに募金したなら、Bさんにも募金しないとと言う感情になってしまうから・・・
どうせ一回の晩酌代だけでも・・・なんて1000円とか募金しても、なんの役にも立たないだろうし・・・ガーゼ一枚の値段にもならないという感情でもある。
だから、まあもらった金をどう使おうがは、もらった人の勝手であるから、募金していない人間がごちゃごちゃ言うことはないと思う。ただ、情にほだされて多額の募金をしてしまう人には、説明責任はあるかも知れない。まあ「2ちゃんねる」でゴタゴタ言っている人のほとんどは募金していないと思われる。
でもあんまり「死ぬ死ぬ詐欺」なんていう話がでちゃうと、本当に寄付を必要としている人に、回らなくなってしまうだろうなと考えてしまう。「介助犬詐欺」とか色々街頭募金詐欺もあるが・・・。
募金で金を集められる時代があったと過去形になるのは、もうすぐの話かも知れない。
自分の子どもや家族が重病になったときに、「どうするだろう?」と考えてみた。
子どもや家族には悪いが、「知らない他人の援助を受け」、「他人の臓器をもらう」という行為までするだろうか・・・家族の意見を尊重するが、「自分に移植医療が必要だ」と言われたら、「それは必要ありません」と答えるであろう。
僕は、そこまで生きながらえる存在価値のある人間ではないから・・・自然の流れに従います。
そんな協力してくれる人脈だって持ち合わせておりませんから、家族に対してもそうなるでしょう。

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