松本サリン事件の爪痕は未だ残る

僕は松本サリン事件があったとき、長野県松本市に住んでおりました。

あの事件の現場は、コンパなどの帰り道に歩いて帰ったこともあります。
あの時、留年中の僕は、翌朝、事件現場近くのバイト先に行く途中に、検問だらけで、通れなかった事を覚えています。
頭上には多数のヘリコプタ、多数の東京キー局の中継車が来ており、ガス漏れ事故と聞かされていたののに、「何だこれは?」状態だったことを覚えています。

第1通報者の河野さんが怪しいなんて噂は、そりゃもうずっとそうでした。
サリンなんて存在を知りませんでしたし、あの河野さんという人が、少しインテリ系な雰囲気があったために、さらに怪しさ倍増させていました。そのあと地下鉄サリン事件が発生するまでは、ずっと疑われた人だったわけです。

その後、僕が在籍していた信州大学にも、薬品の管理の確認という形で、長野県警からの捜査が入っています。警察は嫌いですが、別に河野さん単独容疑で捜査はしてなかったと思っています。
ただ、河野さんに疑いのウェイトが重かったことはあったように思います。
マスコミがマスゴミ(社会のごみ)であるという事実と、警察がただ犯人を挙げれば良いという糞機関であるということを証明した事件であるわけです。

マスコミが信用できないがために、最近の河野さんの著書は、僕は絶対買わない出版社から刊行されています。本当にマスゴミが悪いと思うのであれば、河野さんの扱いは違ったものであったと思います。

そうですか・・・あの事件から14年が経ったのですか・・・。
松本協立病院といえば、たしか河野さんが最初に担ぎ込まれた病院だったと思います。
ご冥福(そんな軽い言葉が非常に心苦しいが・・・)をお祈りいたします。

松本サリン被害、河野さんの妻澄子さん死去…意識戻らぬまま : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 1994年6月に起きた松本サリン事件の第1通報者、河野義行さん(58)(長野県松本市北深志)の妻で、サリン中毒の後遺症で意識不明の状態が続いていた澄子さんが5日午前3時4分、長野県松本市の松本協立病院で亡くなった。

 60歳だった。死因は、サリン中毒による低酸素脳症が原因の呼吸不全。葬儀は家族だけで営むという。澄子さんの死去で、松本サリン事件での犠牲者は8人となった。

 澄子さんは、94年6月27日夜、オウム真理教の信者が長野地裁松本支部の裁判官官舎を狙い、松本市の住宅街で毒ガスのサリンを噴霧した松本サリン事件で、重度の脳障害を負った。意識が戻らないまま、98年、同市内の身体障害者療護施設に入所。指を動かしたり、目を開けたりすることはできるようになったが、肺炎や呼吸不全などでしばしば容体が悪化し、年2、3回の入退院を繰り返した。

 今年3月、還暦を迎えたが、6月11日に口から食事をとれなくなるなど容体が悪化したため入院。点滴による栄養補給など、懸命の治療が続けられていた。
(2008年8月5日13時59分 読売新聞)

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